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秋の花の写真 [日々のキルト]

CIMG0159.JPG


秋の花々の写真です。二日前の写真ですが、ススキの穂がもうほわほわと開いています。

今、台風が近づいていますが、箱根、仙石原のススキ野を見たくなりました。
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秋の花 [日々のキルト]

とつぜん、昨日、秋の野の花々が友人から届けられて、我が家に涼しい秋風が吹いてきてくれた。
吾亦紅、女郎花、ホトトギス、リンドウ、野菊、そしてひときわ高くススキの穂が揺れているのは
音楽みたいにすてきだ。都会の真ん中で、秋の花々とお月見ができそう。

それで今日は「感傷的な草むら」という詩を書いた。

そうだ、あとで写真にしてみよう。
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ハーメルンの笛吹き男 [日々のキルト]

オペラ「ハーメルンの笛吹き男」を見た。世界初演。作曲・¨一柳慧、台本・田尾下 哲、長屋晃一。
第19回神奈川国際芸術フェスティバルの公演だった。

私はかつて何人かの仲間たちと「ハーメルンの会」というのをつくっていて、詩誌というか、同人誌みたいなものを出していたこともあり、なぜか”ハーメルンの子どもたち”の伝悦には特に惹かれるものがあるので、とにかく見に行ったわけだった。

でもはじめからそんなに期待していたわけではなかったのに、だんだん引き込まれて、ついにはさかんに拍手している自分がいた!

台本は原作の伝説とは、終わりの部分が変わっていて、130人もの子どもが突然消えたというショッキングな結末は、町の大人たちや政治家たちの小賢しい分別にまさる子どもの純粋さが輝かしく
歌いあげられるものだった。それはだが、この時代への大きな批評や救いともなっていて、客たちに解放感与えてくれる気がした。

笛吹き男を演じた岡本知高(ソプラニスタ)の歌声もすばらしかったし、なぜか取り残された一人の子の口笛による演奏にも心奪われた。

しかし一番心に刻まれたのは、モーツアルトの子守唄の調べだった。それは笛吹き男が子どもたちをさらっていくときに歌う調べだった。ここにモーツアルトのこの曲を挿入した技術はさすがだと思った。のびのびと、優しく、子どもたちを夢という異界へ誘い込み、夢の中に解放して、自由に遊ばせる…さあ、この入口のドアをひらいてお入り…と。

大人たちは言葉を操ることで、分別を得て、夢と遊びを忘れ、自らをもう一つの檻に閉じ込めてしまうのかもしれない。

ある研究者が「モーツアルトはアルファベットの読み書きよりもはるかに早く音符の書き方に精通してしまい、言語より先に音楽に浸りきって、大人の分別とは別の能力を発達させすぎてしまった。…モーツアルトはついに大人の分別をうまく獲得できず、未成熟な子供っぽさを生涯抱えていた存在ともみなすことができる。それがモーツアルトならではの音楽を生み出す原動力でもあり続けたのではないか。」と述べているという。

そういうモーツアルト像と、笛の響きで子どもたちと共鳴し、彼らをたちまち異界へ連れて行ってしまうハーメルンの笛吹き男の姿はどうしてもダブって見える。このオペラが特にモーツアルト的なものと結びつくのには、ひとつの理路があると思う。と音楽評論家の片山杜秀氏は書いている。

なんだか途中からモーツアルト頌になってしまったが、今でもあの笛吹き男の歌ったモーツアルト
の調べが耳の中にしばしばこだましてくる。

さてハーメルンンの笛吹き伝説とは、この世界にとって、何を意味しているのだろうか。これが自分への問いのようにくりかえし聞こえてくる。
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木を植える [日々のキルト]

木を植える、というイメージは詩のなかによく登場する。そして印象に残る詩が多い。

東北の一本松は、残念ながら切り倒されて、人工的に形を再生され、記念樹としてもとに
戻されるという。けなげな松の木のイメージは世紀をこえて人々の記憶から消えないといい。

昨日、自分の若いころの日記を読んでいたら、一本の木として、自分自身を植える土地
を見つけたい…という言葉があった。まだそんな場所を見つけていないけれど。ちょっと
おもしろいなと思った。

ところで、だれでも心の中に懐かしい…あるいは忘れられない…一本の木を持っているのでは
ないか。私は子供のころ住んでいた家の二階の窓辺に枝を伸ばしていた(お隣さんの庭の隅
に立っていた?)一本のひのきのことが忘れられない。二階の窓際から手を伸ばして、小さな
実を取った思い出がある。木全体でなく、梢の先っぽと親しかっただけかも。
でも不思議によくその木を思い出す。身近にいた木の親友みたいなものだったかも。
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『夢宇宙論』より [詩作品]

信じられないほど長く雨も降らず、ただ暑さが続いている。むかし、ショーロホフだったかの
小説を読んだとき、「双子のような日々が」いつまでも…、という表現に出会い、慣れない表現
だったので、印象に残った。それがこの暑い日が毎日繰り返されると、突然よみがえってくる。
双子のように変わらない毎日の暑さ!だが、それどころかじりじりと暑さが増してくるように感じるのはこちらの体調のせいなのだろうか。やれやれ! 
と、つい村上春樹風につぶやいてしまう。

そんな日々に、柳内やすこさんの『夢宇宙論』の作品に触れると体感的に、涼しくなる気がする。



                   名前                                               柳内やすこ 

ずっと昔
ずっとずっと昔
生まれる前の
光に満ちた天の草原の
小川のほとりで
私は誰かに呼ばれていたような気がする
それは
この世のどの言語にもない
低くて優しく根源的な響きで
短く繰り返される私の名前
無心に手で水を掬う小さな私を
そっと振り向かせ
微笑みをさせてくれた
遠い呼び声が
いつもそこにあった気がする


始まりの前であり終わりの後である世界には
ただひとつであり無数でもある名前で呼ばれる
白い子供たちがいて
いのちの灯されるまでの永い時を戯れながら待っていた


ずっと昔
ずっとずっと昔
呼ばれていたその名前で
いつかまた私が表される時が来るだろう
それは
この世のどんな音楽も奏でることのない
深くて荘厳な裸の調べで
誰かに歌われる私の名前


            ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

この世を去ってしまったら、もうモーツアルトの音楽がきけないな…と思ったことがある。
でもこのラストの連を読んで、ではそんな音楽を聞ける日がくるのだと…と思い直す。
世界が一つの音楽であればと思う。


           
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詩誌「ORANGE」から [詩作品]

中本道代・國峰照子・古内美也子さんの3人による『ORANGE』という詩誌はとても魅力的だ。

手のひらに乗るくらいの小さくて軽い詩誌だが、その内容は豊かで、詩を読むときめきを与
えてくれる。いずれもシュールな手法や新鮮な遊びにあふれ、根本には詩を生み出す自由
な精神があってそれらをそっくり読み手に手渡してくれる。
時折、風に乗って舞い込む一枚の葉のような詩人の夢の言葉に、私は愉しさと歓びをもらって
いる。


最近38号が届きましたが、今日はちょっと前の30号(2010年夏)から、中本さんの詩を
紹介します。

        五月の城                                                        中本道代 


五月に行方不明になった子は
風が知っているか
毎日大きくなる葉の重なりの奥に
渦まいている小さな風の城
その中に迷い込んで
出口がわからなくなっているのではないか
小さな小さなからだになって



五月に行方不明になった子を
どうしたら連れ戻せるか
五月の向こうはただ風ばかり
ばらが首をかしげ
ジギタリスが笑いかけても
心臓は固い石になって縮む



五月に行方不明になった子が
佳いものをみんな持っていった
やわらかい皮膚
あたたかいからだ
敏捷なこころ
ひそやかな声
抱擁の幸せ


五月に行方不明になった子を
探してさ迷う
すべてを捨てて風の奥に
どうしたら入って行けるだろうか 


      ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””” 


五月は晴れやかな季節なのに、いつも何か大きなものとの別れと不安を感じる季節でもある。
五月の花、みずきの満開のときには、歓びと切なさが紙一重だ。やがて失う大きなものへの予感
におびえているように。      
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