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映画「白い馬」 [日々のキルト]

 昨日、映画[白い馬」と「赤い風船」を横浜で見た。日本で公開されてから何十年ぶりの再公開になる。アルベール・ラモリス監督のフランス映画。前者は1953年にカンヌでグランプリを得、、後者は1956年に同じくカンヌでパルム・ドール賞を得た傑作小品である。私がこの映画に特別の思い入れがあるのは、ルネ・ギヨによる童話「白い馬」を友人たちと共訳出版した経験があるからだ。ルネ・ギヨはこの映画を見て感動し、この童話[白い馬」を書き上げたという。これらの映画はまさに映像による詩といわれるが、久しぶりに見たこの二つの映画は古びるどころかむしろ今の時代にこそいっそう静かに強く訴えて来るものをもっていた。

 [赤い風船」も「白い馬」も共に少年たちが人間以外の存在(ひとりは風船、ひとりは白い馬)と無二の友情を結び、その絆を断つことなくこの世の外へのがれていく…そんなテーマでは共通したものをもっている。純粋で無垢な心をもったまま、この俗な世界に生きつづけることの困難さ。それを観念でなく、映像で描き切った、ラモリス監督の才能に心打たれる。

 「白い馬」のラストの映像…白い馬とその背に乗るフォルコ少年の姿が、ウマ飼いたちの追跡を逃れて、ローヌ川の波間にはるか小さく遠ざかってゆくシーンは忘れがたいものだ。かつてこの南フランスのカマルグ地方を旅した折に見た白い馬たちの群れが目に浮かぶ。童話のおしまいの部分を引用させていただく。

 (年取った友だちのアントニオの声が、最後にフォルコの耳に届いたかもしれない。だが少年は、はるかに遠く、ざわめく波のなかに見えなくなってしまった。フォルコは、まるで大きな貝がらのくぼみの中で、ふくらんでゆく歌声のような、ひびきのにぶい水の歌をきいていた。
 
 岸辺の男たちは、やがて、白いぽつんとした、点のようなものしか見えなくなった。それは、少年と頬を寄せ合って,泳ぎつづけるウマの頭だった。
 まもなく、その点さえも波まにのまれて、牧童たちの目から消えてしまった。
 自分のウマの首に、しっかりしがみついているフォルコは、まるでねむりに落ちるときのような、とてもやさしいけだるさが、からだじゅうにひろがって来るのを感じた。
 水が頭の上を流れていった。
 フォルコは目をとじていた。
 
 少年は夢の中にいるように、かるがると、友だちのクラン・ブラン(白いたてがみ)と
いっしょに進んでいった。クラン・ブランは、もう二度と少年からはなれはしない。ふたりは、いつまでもいつまでも泳いでいった。
 うたうようなローヌ川の水が、ふたりをやさしく静かにゆすっていた。やさしい水は少年とウマとを、海へそそぐ大きな流れにのせて、はこんでいった。子どもとウマとが、いつまでも友だちでいられるような、すばらしい島にむかって。)ルネ・ギヨ作、スコップの会訳[白いウマ」(1969年刊)より

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