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薬指の標本 [日々のキルト]

映画「薬指の標本」(原作小川洋子・監督ディアーヌ・ベルトラン)を見た。映画館へ行くのは暑さしのぎみたいなところもあるけれど、これは作品としても結構おもしろかった。

冷ややかな触覚的視線が画面をなめるように進んでいくふしぎな官能性があって…。そして映画の舞台の背景は港町であり、その雑駁な落ち着きのない日常の喧騒が、女主人公の暗い淵をたたえたような孤独を浮き上がらせるすばらしい効果をもっている。私はそのことにおどろく。

ここは横浜。私はいつもの風景のなかにいる気になる。そこはいわゆる歌謡曲のなかのロマンチックな港ではない。働く港湾労働者たちのいる日常のリアルな港町なのだ。そこは日本ではない、フランスのどこかの港だが。また彼女の泊まっているくたびれたホテル(知らない男と昼夜で分けて、一室をシェアしている…。顔をあわせることはない)の建物も、なぜか赤レンガ倉庫のイメージなのだ。

映画とはストーリーでなく、映像なのだと証しする作品だった。そしてまさにフランス映画だと感じる。小川洋子作品の雰囲気が、フランスの女性によってどのように生かされているのかと、文庫本の「薬指の標本」を買ってきて、夜中に読んだ。映画と小説はまったく別物であることははっきりしているが、映画としても、作品の雰囲気をこわさない、出来のいいものだと思った。(もちろん好みはあるけれど)。

ベルトラン監督はあの小説をネタに映画化する楽しみを存分に味わったにちがいないと思った。このようにして、ある作品に触発されて、自分なりの別世界を生み出すことは、多かれ少なかれ私たちにも経験があること…。作品をつくるということは一種の演奏行為でもあるのだから。

ところで付け足し。この映画の主人公は「靴」だと思う。原作と映画ではその靴の色が違う。そして残念なことに、映画の色の方が、印象に強く刻まれてしまうこと。(なにしろすてきな靴なのです)。映像の色は強い。原作を最初に読むべきだったかも。

キアゲハ羽化 [日々のキルト]

 キアゲハ3兄弟の長子?が今朝やっと羽化した。蛹化してから8日目。打ち続く酷暑で心配していたので、今朝7時前頃にふとのぞいたら、いつの間にか傍の茎に黄色いものが! この間の第一代目の蝶も気がついたら羽化していて、ほんとにびっくり。
 
 今回もまた前の時のように折悪しく雨模様で、心配で、家の窓際に鉢ごと取り入れて様子を見ていたが、まもなく雨が上がって日ざしが見えてきた。そこで窓をあけてやったら、ちょうど10時頃、見事な翅をひらいて、空高く舞い上がり、バルコニーから東の森(木立?)へはるばると飛んでいった。後はうしろ姿を見送るばかり。でもどこかで「やったあ!」という爽快感。羽化後初めて見せるあの飛翔のすばらしい軌跡にはいつも感心してしまう。そしてどこか肩の荷を降ろした気分になる。

 だがここへ至るまでには悲劇も! この3兄弟の二匹目は前に書いたように、蛹になるまえに忽然と蒸発してそれきりゆくえ知れずだし、一番末のチビが数日前に実は昇天してしまったのだ!この末っ子はいつまでも大きくならず、(普通の三分の二くらい)、それでもパセリの茎にしっかりしがみついていて、ほとんど何も食べなかった。なので、心配になってきて、スーパーのハーブ売り場で、イタリアンパセリを探してきて、そのやわらかい葉に乗っけてみたり、(それでも全然食べない)余分な世話を焼いて、結局最後に地面に落ちてアリがくっついているのを発見。摘み上げて、イタリアンパセリの葉にまたのっけてやったが、結局だんだん弱っていくばかりで、次の日にはみまかってしまったのだ!なんていうことだ!放っておけば案外勝手に大きくなったのでは…と悔やんだり、一寸の虫にも五分の魂というけれど、ほんとにこんなチビにこれだけがんばって生き抜こうとする力が潜んでいるのだ…と感心しながらも悲しくなるのだった。

 今日のキアゲハの飛翔を見ると、一面救われた気分になるが、挫折したチビがまた哀れになって、どんな命にせよ夭逝というのは絶対よくないことだと思ったり。

 それからもう一つ、こういう虫たちのかたわらで時間を過ごしていると、ヒトというのは粗っぽい存在だなあ…、となぜか痛感するのです。それと自然と付き合うときは「待つこと」,関心を持ちながら「じっと待つこと」が必要だと分りました。あせってはいけないと。

 見えないけど、世界の隅々でこういう命たちがけんめいに生きているんですね。 以上でこの夏のキアゲハ3兄弟の物語はおしまい。まったく生きものと密に接することは、なんにせよ、しんどいことです。

 ”一匹目は真昼に蒸発し…、二匹目は夜明けに墜落し…、そして三匹目は東の森へ飛んでった…。” まるでマザーグースのTen little indian boys の始まりみたいですね。

マリー・イン・ザ・モーニング [日々のキルト]

 今日はまた一段と暑くなったようだ。キアゲハ兄弟のいる鉢まで家の中に入れたり、また出したりと…親ばかをやっていた。74年ぶりの記録となる40度オーヴァーの地があったという。明日がまた怖い。

 今日はエルビスが他界してから30回目の記念日。午後、バラードを何曲かと、好きなCD「ムーディ・ブルー」をきいた。久しぶりだが、やっぱり新鮮な衝撃だった。


MARY IN THE MORNING


Nothing's quite as pretty

As Mary in the morning

When through a sleepy haze

I see her lying there

Soft as the rain

That falls on summer flowers

Warm as the sunlight shining

On her golden hair,oh…


「マリー・イン・ザ・モーニング」の甘くて、ちょっと切ない歌声は、いつまでも耳の底に響いている。でもあれから風のように30年の月日が流れた。彼のバラードをきくたびに、歌詞が生き生きとしたせりふのように伝わってくる気がしてしまう。

 《朝のマリーほど美しい人を見たことがない。ぼくはまださめ切らない眠い目で、よこに眠る彼女を見つめる。夏の花々をぬらす雨のようにやさしく、金色の髪にたわむれる陽の光のようにあたたかく…》
   

真昼の脱走劇? [日々のキルト]

今日、炎暑のバルコニーで、ちょっと目を話した隙に(4,50分ほど?)キアゲハの蛹化寸前の幼虫が鉢から脱走した。3兄弟の2番目が…。さっきまで茎のてっぺんにしっかりかじりついて、イタリアンパセリの花と実を坊主にしていたのに! どこか近くを這っていないかと、灼熱のバルコニーをそれでもあちこち捜しまわったが、影も形もなし。傷心の私!昨日は一番上?のが、これも真昼の脱走劇を何回も繰り返した挙句、やっと鉢の中に腰を落ち着けてくれて、今日はみどりの蛹になったところなのだが。(蛹になる前の場所探しの猛烈な徘徊は驚くばかりだった。)

さて消えた二匹目はどこへ?わずかの間に雲隠れなんて、もしかしてどこかの鳥さんがきて、食べちゃったのかなあ…。それならまだしも…。もしバルコニーの片隅で熱中症になって伸びているところを、アリに引っぱられていったのでは? 一生懸命見守ってきたので、それが一番痛手だ。

仕方ない。未練がましく後追いするのは止めて、3匹目のチビの大きくなったときには、もっと注意して、ここにおいでいただくことにしよう。と、いまはあきらめの心境です。

キューバ音楽《ヌエバ・トローバ》 [日々のキルト]

 先日、《東京の夏》音楽祭で、キューバ、ヌエバ・トローバの夜というのをきいた。最初の音が響いた瞬間、なつかしさが胸の奥に響いてくるような音楽だった。ヴォーカルでは、ビセンテ・フェリウ、ラサロ・ガルシア、アウグスト・ブランカの3人が登場。解説は八木啓代さんだった。

       DONDE HABITA EL CORAZON  (心の在処)


     愛を戦い、夢のかたわらでパンを焼く地に、私は生まれた
     
     黒人とスペインの血と、ほんの短い歴史

     私は海の真ん中からきた

     北というよりも南から

     そして赤い血がこめかみを流れる

     私はそういうところの生まれ

     たとえ世界のどこにいたとしても

     夜が空を覆い,信念に危機があったとしても

     私はそういうところの生まれ

     心のあるところの者

     鳩といっしょに夢を見て、愛のために死ねるところの



 



 さて、このトローバの発祥は、キューバがスペインからの独立を果たした独立戦争後のこと。ギターを手に歌い出した人々がいて、ヨーロッパの影響や植民地文化のスペイン民謡やアフリカ奴隷のリズム感などをも含む新しい歌の流れをつくり出した。これが中世ヨーロッパの吟遊詩人(トロバトゥール)の名をとり、トロバドールと名乗るようになった。

 これは更にキューバ革命の直後の流れにつながる。革命後の動乱や喧騒、識字運動など、混沌の底から、2度目の変化が起こり、若者たちがかつてのトローバの流れを汲みながら、ギターをとって,愛や別離、美しい風景や再生したばかりの祖国キューバへの思いを歌い出した。その頃はやっていたジャズやブルースやロックをも取り入れ、それらを消化しながら新しい多くの歌を誕生させていった。

 やがて個々の才能は互いに引き合い、連絡を取り合い、ひとつの大きな流れとなり、「ヌエバ・トローバ」(新しいトローバ)と呼ばれるようになった。そして80年代のラテンアメリカで、キューバ革命の象徴として、人々に熱狂的に受け入れられ、軍事政権や政情不安に蝕まれた国々で、彼らの歌こそが自由の象徴となった。

 ビセンテ・フェリウは1947年ハバナ生まれ。その作曲活動は1972年になって「ヌエバ・トローバ」と名付けられる運動となり、そこから多くの作曲家を輩出した。舞台で演奏するフェリウはとてもナイーブであり、心から音楽することを楽しんでいて、ギターと歌の化身のようにも見えた。

 (以上ヌエバ・トローバについては第23回《東京の夏音楽祭2007》の解説を参照した。)

               

新しい借家人? [日々のキルト]

 10日ばかり前にキアゲハが羽化した例のイタリアンパセリのプランターの空き家に、今朝またキアゲハの幼虫たちを発見!!しかももうほとんど枯れかけて茶色くなりかけた実の部分にかじりついているではないか。大中小の3兄弟が!(やれやれ)だ。 仕方なくもう一つの元気なイタリアンパセリの鉢を、そのプランターの隣に置いてみた。(こっちの方がおいしいよう…という気持)
 
 夕方のぞいてみると三匹ともちゃっかり新しい鉢植えの方へ引っ越している。どうやって?こんな虫でもきっと、匂いか何かで食料豊富な場所が分るのか。駄目なら手を貸そうと思っていたのだが。

 それにしても、またしばらく小さな借家人のために、気が休まらなくなりそう。今日は34度の猛暑。ベランダ暮らしの彼らも大変だとか、いろいろ。

裏磐梯 [日々のキルト]

7月の末頃、裏磐梯へ短い旅をした。梅雨がまだ明けない頃だったが、幸い天気に恵まれて、爽やかな山の空気と磐梯山の壮大な風景を楽しむことができた。宿泊は猫魔ホテルという大きなホテルの南側の端の部屋だったので、(温泉やレストランが北側の端!)一日に何回も、ホテル内を(ここで言えば石川町の駅まで歩いたくらい)往復する羽目になった。(ちょっと大げさ?)

でも部屋の窓は緑一面の森に面したみたいで、都会暮らしの疲れをしばし忘れることができたし、春樹の「1973年のピンボール」を読み返すことができた。彼の文体の魅力についても見直した。

宿の前の桧原湖を船で二回往復して、磐梯山の大きくえぐられた山容が湖面に映るのを眺め、その湖面の深い青を心地よく眺めて、とてもいい気分だった。遠方に吾妻連峰。湖面にはカヌーをやる人々。森からホトトギスの鳴声。(ちなみに磐梯山とは天にかかる岩の梯子の意味だそうです)

だが桧原湖の歴史はすごい。この湖は120年前くらいの、1888年7月15日、磐梯山の噴火に伴う山体崩壊によりできた堰止湖で、噴火の際には500人以上の死者が出ているとのこと。その折に桧原村は湖底に沈み、地域社会は消滅した。そして現在も水位の変動により、集落のあった鎮守の森の鳥居や墓石が顔を出すことがあるという。そんな解説をききながら湖を観光すると、足の下がむずむずしてくる。この爽やかな静かな湖面の下には、何層もの見えない時間が沈んでいて、耳を澄ますと、噴火の際の村人の悲鳴が耳に響いてくるようだった。

台風、地震、洪水、そして戦争、原爆。一瞬のうちに時間の亀裂に呑み込まれていった人々はどんな消息をこの地上に残してくれるのか。、私たちは歴史の薄い表皮で、今、この一瞬を生きているにすぎない。だからいっそうそれはかけがえのない時でもあるけれど。

会津を旅するのは3回目だが、いつも何か懐かしいものを私に感じさせてくれる風土なのです。

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