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草野信子詩集『セネガルの布』 [詩作品]

草野信子さんの詩集『セネガルの布』から一つ詩を写させていただく。この詩集はその内容にぴったりの実におしゃれな装丁で、手にしても感覚的に心地よい。この表紙の、重ねられた二枚の色のコントラストの陰影のある美しさ、これはセネガルの布を模した色なのかしら?などと勝手に想ったりする…。私も一枚だけ持っているマリ共和国の、大地を思わせる色のテーブルクロスを思い出しながら。

                 

                セネガルの布
             
              なにに使おうかしら 
              と言ったら すかさず
              〈風呂敷です〉と答えたので 笑った

              
              テーブルクロスには 大きすぎて
              でも ハサミをいれたくはない
              藍染の木綿

              
              部屋いっぱいにひろげて
              アフリカの女たちの
              素朴な手仕事のはなしを聞いた

              
              セネガルから帰ってきたひとの土産
              
               
               〈人間であることがいやになったときは
                もの、になって
                部屋の隅にころがっているといい
                これは そのとき
                あなたを包むための、風呂敷〉

              
              夜の湖面をたたむように
              折りたたみながら
              うなずいた
              だから

              こんな夜は
              包まれて眠る
              セネガルの布に、ではなく
              きみの、 そのことばに

                    
                     ※

  詩人と、もうひとりのだれかとの、とてもすてきな心のゆきかいが、手に触れられそうな詩。
  私はこの詩人の、生への洞察力と、繊細な感受性、そして端正な居住まいをもつユーモアに
  心惹かれます。

             

        
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かたあしだちょうのエルフ [絵本の頁]

先日の「さよならチフロ」のおのきがくさんの絵本をもう一冊紹介します。
         
           「かたあしだちょうのエルフ」(文・画)おのきがく(ポプラ社)

 
 これはとても美しく力強い版画によって描かれた絵本です。主人公はダチョウのエルフ。彼は若くて強くて、すばらしく大きな牡のダチョウです。ひといきで千メートルも走れることから、「千」を意味するエルフと呼ばれていました。子ども好きなエルフはいつも動物の子どもたちを背中に乗せて草原をドライブしてやったり、途中で長いくびを伸ばして木の実や種のお弁当をくばってやったりしていました。エルフはみんなの人気者でした。

 ジャッカルが襲ってきたときは、ライオンの声を真似して追い払ったりしてみんなを護りました。ところが
ある日、なんと、ほんもののライオンが現れたのです。エルフはみんなを逃して、必死でライオンと闘いました。エルフの命がけの抵抗でライオンはよろよろと立ち去ります。ところがエルフは足を一本食いちぎられてしまいました!

 それからエルフには苦しみの日々が続きます。子どもたちとも遊べませんし、仕事のお手伝いもできません。餌を探すのさえ、ままなりません。はじめのうちこそ、ダチョウの仲間たちや他の動物たちが食料をもってきてくれましたが、みんなも家族がいますので、いつまでも続くわけではありませんでした。

 日がたつにつれエルフはみんなから忘れられていきました。やがてえさを十分にとれないエルフのからだは、かさかさにひからびて、ただ背ばかり高くなってしまうようでした。ハイエナやハゲワシは早く自分たちの餌にしようと待ちかねています。

 エルフはいまではもう、一日中ひとところにたったまま、じっと目をつぶっているばかりでした。涙がひとつぶ、かわいたクチバシを伝って、ぽつんと足元の砂に吸い込まれていきました。いまのエルフにとっては子どもたちの遊んでいる声をきいていることだけが慰めなのでした。

 そんなエルフの前に、ある日一匹のクロヒョウが現れます。エルフは自分のことを忘れて、近くで遊んでいる子どもたちを助けようとします。「クロヒョウだぞー」、かすれる声で叫んだエルフは夢中で子どもたちをせなかに這い上がらせます。

 真っ赤な口をひらいて飛びかかってくるクロヒョウと、エルフは最後の力をふりしぼってたたかいます。背骨はみんなの重みでいまにも折れそうです。残された一本足には、クロヒョウの牙と爪で、血のすじがいくつもできました。でもやがてクロヒョウはエルフのクチバシでさんざんつつかれ、痛めつけられて、ふらつきながら逃げていってしまいました。「たすかったー。」「ばんざーい。」みんなの声が夢のなかで聴こえたような気がしました。

 《子どもたちは高いエルフの背中からやっと下りました。「エルフ ありがとう。」と、叫んで ふりあおぐと、みんなは あっと おどろきました。そこには かたあしの エルフとおなじ かっこうで すばらしく大きな木が そらに むかって はえていたのでした。 そして,エルフの かおの ちょうど ま下あたりに、きれいな いけが できていました。 そう エルフの なみだで できたのかも しれませんね。

木になった エルフは その日から のはらに 一年じゅう  すずしい 木かげを つくり、どうぶつたちは
いずみのまわりで いつも たのしく くらしました。》                        
                                                        おわり

 一本の木になったダチョウの姿が目にやきつくような、ちょっと哀しいお話です。小野木さんのこれを書かれた想いが今ごろになって私にもじんと伝わってきます。(ある地理書の一枚の写真…アフリカの草原に立つバオバブの大樹と雲だけの単調な風景をみているうちに、頭の中で小型映写機がまわり始め、一匹のダチョウがあらわれ、大きな樹のシルエットが繰りかえし出てきた)と、彼はあとがきで書いています。(自分の中で逆回転する一台の映写機、あっけにとられてそれをみているうちに時を忘れ、その瞬間にエルフの絵本ができた)のだと。チフロもそうでしたが、これも忘れがたい一冊の絵本です。

いま、絵本の表紙裏の彼の写真を眺めながら、このような想いを、この地上に残して、足早に逝ってしまった彼を心から惜しまずにいられません。いまはどこかで彼も一本の樹になっているかもしれません。その足もとに一つの深い池をたたえて…。
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水橋晋詩集「悪い旅」より [詩作品]

昨年二月に急逝された水橋晋さんのお宅を、昨日初めて訪れ、晶子夫人のお話をゆっくり伺った。あかるい冬の陽射しに満たされたリヴィングルームには、生前の彼の画や詩が何枚も架けられ、写真が立てられ、まだそこに水橋さんの居られるような気配だった。その折にお願いして、夫人からいただいた彼の第一詩集『悪い旅』ー昭和55年沖積舎刊ー〈その前に17歳のとき出された自家版の詩集もあるが、それは別にして)から、特に印象に強い詩を一篇挙げさせていただきたいと思う。澄んだ水面を通して、ふつふつと湧き上がってくるようなエロチシズム〈生命への感応力)に触れ、後年の彼の作品にも流れ込むレトリックの源流をきく気がする。

                              ※

                        奔流
               

                 私がくぐり抜けてゆくところは                                花のおくにひろげられた夜のなからしい                                茂みのしたをはいってゆくだけで                                息づくけものたちの気配がしている                               ひかりのとどかない内側で                                こんなに暖かく泡だっているなんて                                風はいつもやさしく花片を撫ぜていたにちがいない                                用心ぶかく星をさえひからせないでいたにちがいない                               
               
               
                
                それだから私は降りる                                ひと足降りてまた降りてそしていっきにかけ降りる                                樹液をいっぱいみたして                                 いっぽうの端からもういっぽうの暗い芯にむけて                                睡りからさらに遠くおしやるために ゆすぶるために                                そのとき百万のけものたちと小鳥たちがめざめる                                夜は大揺れに揺れうごく                                空にむかって花片をおしあげ                                樹液のなかで渦をまく                                   それで 太陽が 花のなかで 一千も                                破裂したかと思ったのに 鳥一羽 おっこちなかった

               
               
               
               ひかりが大地のうえをめぐりはじめるころ                                風はまもなくやむだろう                                海のように深みを甦らせ                                静けさを澱のようにしずめて                                全部が全部傷つくのかもしれない                                黒い奔流がそして体のなかに脈打つ                                私ははだしではいってゆき                                ふたたびはだしで帰ってくる
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鏡の中の鏡 [日々のキルト]

エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」のCDをきく。
(ヴァイオリン)ギドン・クレーメル、(ピアノ)エレーナ・クレーメル。この曲をきくたびふしぎな宇宙に連れて行かれる。瞑想的になる。彼の演奏は静かで淡々としている。それなのにさまざまのイメージが目に浮かんでくる。ある人は暗い宇宙に星々が瞬きはじめ、それがまた一つずつ消えていく・・・、といっていた。わずか9分くらいの短い曲なのに、そのなかの異空間ははてしなく奥深い。

あるイメージ。水銀色の糸の上を一輪車にのって空へ遠ざかっていくひとりの天使。その後姿のなんと軽やかで、一人ぼっちなことか。雨が天使の羽根をしずかに規則的に打っている。

                         
   


          青い天使がいく
          青い天使がいく
          青い天使がいく


          だれかあの青い影を見た?

         
          夢の中で わたしは
          青い天使の車輪の音をきく
          夜を通り抜ける
          青い天使の呼吸をきく

          
          けれど 朝、天使は地上にいる
          天使は草を摘んでいる
          天使は荷を運んでいる
          通り過ぎることなどなく

          …いつか 千年もたったら
          人々は思うだろうか
          青い天使について
          青い天使が通り抜けた
          水銀色の日について
                         R・M
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さよならチフロ [絵本の頁]

 去年の9月以来久しぶりの投稿です。以前絵本をたくさん買って、そのまま書庫に積んであるので、そこからアトランダムに選んで、一冊ずつ紹介してみたいと思います。

 今日は、画家のおのきがく(小野木 学)さんの画と文による『さよならチフロ』を。北国の海辺の子どもと老漁師との交流をからめて、孤独なこどもの夢を幻想的に描いたこの絵本は、一篇の詩だと思う。
 

ひとりぼっちのチフロは砂浜にぼくのうちをつくっている。そして老漁師と出会う。ある日、しろいかもめ、しろいくも、しろいおんどり、しろいタンポポのわたげ、しろいはなびらのふりつもったかさ…などが、みんな空を飛ぶことを知ったチフロは、ある夜、雪のつもったこうもり傘につかまって、空へと飛びたちます。……やがて、チフロがたどりついたのは彼が砂浜につくった《ぼくのうち》でした。そこには暖炉が燃え、できたてのごちそう、たのしい音楽が。さらにこごえたチフロのための席まで用意されていましたが…。
     
 ゆきがやんだ、翌朝、チフロをさがす老人の目には、

    (みわたすかぎり しろいはまに、…ぽつん…と くろいものが、
     
    …こわれたかさが ひとつ おちていました。    おわり )
 
 たのしさと、さびしさと, こどもの無限への夢とが、パステルの繊細な色調で描かれ、在りし日の小野木さんの飄々とした風貌を思い出させる。
 
 これは1969年にこぐま社から出たもの。私は1973年のインド旅行の折に、彼と知り合った。その後アトリエを訪ねたときに見せてもらった、そのタブローのユニークな《青》を忘れられない。この『「さよならチフロ』を寄贈されたのもその日だった。しかしまもなく彼は他界し、これは貴重な一冊となってしまった。

 (グミとアカシヤと、小松の防風林が果てしなく続く、日本海の砂浜に住んでいた千尋という五歳の子ども)。(ふとした縁で、彼を育てていた老人は、なぜか千尋をチフロとしか発音ができなかった…)とあとがきにある。だが作者が1968年に再びこの現地を訪れたとき、(当時の砂丘は、夕闇の下で荒波に侵蝕され、海底に沈んでしまっていた。)とあり、この絵本はなにかを象徴的に語っているような気がした。心に残るいい絵本だとあらためて思った。
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