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相沢正一郎さんの詩から [日々のキルト]

今度H氏賞を受けることになった相沢正一郎さんの作品紹介を、韓国の詩誌「詩評」に書くことになって、相沢さんの詩集4冊をずっと読み直していた。この4冊の詩集には一貫して、日常の暮らしの細部に注がれるこの詩人の繊細なまなざしが感じられ、それを媒介としての「記憶」と「時間」への深い問いがあり、さまざまな古今東西の読書体験がユニークな形で、詩の中に生かされていて、本好きの私にとってはまたその意味でも興味深い作品が多かった。それらの詩は概して長めの散文詩が多いので(以前も一篇ここに引用させていただいたが)、今日は行分けの詩で、彼のやわらかな感性を素直に感じさせてくれる作品を第一詩集から挙げてみたい。私の好きな作品です。


                 ☆         ☆         ☆                

                   

  わたしはおぼえている
  かつてわたしがいたところ
  いつかみたあおぞら
  あめにぬれたき
  のきのしたのくものす
  こげたパンのにおい
  ゆうがたのみずのにおい
  あしのしたのすなのもこもこ
  おふろばのタイルのツルツル
  どしゃぶりのあとのとりはだ
  くさきのこきゅう 
  きしゃのきてき

                    
  わたしはおぼえている
  いまあなたがいるところ
  ひをたいたり
  おちちをすったり
  かげふみをしたり
  ひややっこをたべたり
  たまねぎをきってなみだをながしたり
  おなべをひっくりかえしてひめいをあげたりしたところ


  おかのうえのかねはまだなりますか
  ろっこつのうきでたしろいいぬがかなしみのようにただよっていた
  あのかわはまだながれていますか
  うらにわのきにことしもまたイチジクがみのったでしょうか
  かっしゃがあかさびている あのいどのみずはまだかれていませんか


          詩集 『リチャード・ブローティガンの台所』(4)より   

ゴヤ展その他 [日々のキルト]

昨日は鎌倉へ出かけた。絹川早苗さんとペッパーランド31号の編集をすませ、その後八木幹夫さんも加わって、近代美術館別館へ、ゴヤの版画展を見に行った。初めて上野でゴヤの黒い絵(レプリカだが)と、この版画シリーズを見たときの衝撃は大きかった。その後京都まで版画展の追っかけをやり、それからさらに10数年たって、やっとプラド美術館まで到着して、本物の黒い絵(わが子を食うサテュロス・砂に埋もれる犬、など)を見たときの感動と畏怖は忘れられない。

昨日の版画展の「戦争の惨禍」はあの頃より、今見た方がいっそう現実味があって、「こんな写真があったら発禁ものかも」とつぶやいた。ここまで人間の残忍と悲惨を痛烈にえぐり出し、風刺したゴヤという人の生き方をもう一度見極めたくなる。この一月に徳島の「大塚美術館」へ行ったのも、一つの目的はゴヤの「黒い絵」を見たいからだった。そしてこれもまた見事なレプリカにしばらく立ち尽くしたのだった。けれども本音を言えば、その迫力を受け止めるには相当タフな体力が必要だとさえ感じた。そのくらい凄かった。

人間の内に潜む悪を、ここまでたじろがずに描ききったゴヤの精神の背後には、宗教的な支柱があるに違いない、そこにも日本的な精神風土からはうかがい知れないものがあるのだろう、などと思いながら、三人で八幡宮の大銀杏の下を抜け、小町通を散策して、駅近くの秋本という和風の店で懐石風の飲み会。おいしいお酒と、おいしい魚と、愉しい話の飲み会であった。ゴヤのことは話さなかった。そして詩の話をかなりした。

二人展 [日々のキルト]

横浜詩人会の弓田弓子さんと坂多瑩子さんのお花と画の二人展を新杉田まで見にいった。とてもかわいくておしゃれなスペース。コーヒーもおいしかった。

坂多さん製作のお花は、あれはフラワーアレンジメントというのでしょうか。ファンタジックな小宇宙を想わせるオブジェたち。小さな椅子の上に、あけがたの夢の名残が花のかたちで残っていたり、そのかたわらに、やはり小さい詩がつぶやきのように置かれていたり…。

一方弓田さんの画の野菜たちは、ナスも玉ねぎもユーモアをにじませながら、結構まじめな表情を見せ、どこかで見かけた隣人のような親しみを感じた。花瓶や壷の絵も好きだった。その輪郭が大気と触れ合い、溶け合い、懐かしい存在感を持っていて。いいなあ…と思った。

それから弓田さんとしばらくビールを飲んで話をした。一度飲もうね!と言い合ってから、何年たったことだろう。それなのに思いがけない場面でこうして会って、親しく話し合うことができて嬉しかった。最近急逝された水橋晋さんのことや、女性詩の現在のことなど、かなりまじめに、話し合った。初めて二人で飲んだのに、以前からの友人のように親しく思えたのは不思議だ。

ヒポカンパスの会のこと、詩ひとつ [日々のキルト]

暖かかった昨日の夜、渋谷の「月の蔵」で、ヒポカンパスの詩画展の打ち上げ会を開いた。ちょうど相沢正一郎さんのH氏賞受賞の発表の直後で、そのお祝いもかねて、和やかな楽しい会になった。協力していただいたオリジン アンド クエストの大杉さんも合流、画の井上直さんと共に、詩の世界に風を呼び込む話題も多くて、私にはその意味でもおもしろかった。会話のおもしろさがなければ食事会(飲み会)のほんとの楽しさはないとよく思う。
ところで打ち上げなどというともうこれで終わったような気になるが、詩誌のほうはまだ折り返したばかり。書くのがおそい私としては、まだまだ気をぬけないのです。

                             ※

今日は詩誌「六分儀」から、(これは2004年に出たものです)小柳玲子さんの詩をひとつ挙げさせていただく。小柳さん、縦のものを横にして恐縮です。

         木川さん

木川さんはもう死んでしまったので  訪ねていくわけにはいかない
木川さんは時々あの辺りにいるのだ 小さい段ボール箱を置いてこまごましたも
のを商っていることがある 木川さんが木川さんの詩の中に書いているとおりで
ある  これをください  私は影のような うさぎのような 幼いものをつまみあ
げたが 木川さんには私が誰だか分からないのだった 私はとてもあなたの近く
にいるのにあなたはとても遠くにいるらしかった  「あ F ?」とあなたはいった
Fはむしょうになつかしいものの総称だとあなたは書いていたが 私はそれでは
ない  私は……私はたぶんL……とかそんなものだ  かぎりなく清冽なもの
に向かって歩こうとしているもの  そうしてどんどんそこから遠くなってしまうも
の  そんな大多数の名前である  おいくら?私は木川さんに影のようなもの
の値段を聞いた 釣銭をもらう時 「わーこれ新札 樋口一葉だ はじめまして」
ととんきょうな声をだして 私は若い郵便局員を失笑させた

    

     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^         

追悼の詩をかくことは難しい。けれどそのひとの詩を知り、その人を愛し、心底その別れを惜しむ詩人のことばはいつまでも影を曳いて消えない。        


                              

H氏賞詩集『パルナッソスへの旅』 [日々のキルト]

長篇詩誌「ヒポカンパス」同人の相沢正一郎さんが詩集「パルナッソスへの旅」でH氏賞を受賞された。とても嬉しい。以前からの詩友であり、また同人でもある彼の受賞を喜ぶのはもちろんだが、日常を想像力によって異化し深める手法、日常の枠を自在にこえて、(今、ここ)の時間とそれを超える時間、あるいは宇宙的な時間とを交錯させ、こだまさせ合い、時の孕む多層性を呼び込むこと。そこから得られる自由感。また本好きにとってはちょっとたまらない魅力もある、モチーフの扱い方など、私は以前からのファンでもあったので。
これは「失われた時を求めて」の現代詩版のように読み手を時の鎖から解き放つ力をもつ。
またこの詩集の表紙は同じ「ヒポカンパス」の同人である井上直さんの画であり、それも作品の雰囲気とよく調和していて魅力的だ。

それでは比較的短い詩を以下に引用させていただく。

             
         (ステゴサウルス、アパトサウルス、ティラノサウルス……)

         

         台所の水道の栓をきつく閉めても、蛇口から水がしたたり落
        ちる。 もう何度か、パッキンを取り替えたのだが。 ちょっと疲
        れているとき、蛇口の先の水滴が徐々にふくらんでは落ちてい
        く、といった繰り返しがいやに気になったりする。 点滴が、子
        守歌をうたうこともある。 なにか言葉をもつときもある。 なん
        となく水の囁きに耳をすましていると、父の声が聞こえてきた。
        ……ステゴサウルス、 アパトサウルス、 ティラノサウルス、
        トリケラトプス、 ディノニクス、 プラテノドン。  ーー恐竜って
        いってね、大きな大きな生きものなんだ。 もう地球上にはいな
        いんだけどね。 声のあと、ある情景がよみがえってくるーーだ
        だっぴろい倉庫みたいなところに、父とわたしが手をつないで
        立っている。ー−それが、いつのころの記憶なのかわからない。
        あたりには、誰もいない 。見上げると、大きな骨の林。
         磨かれた床をふむ、父とわたしのあしおとがひびく。 父はわ
        たしに、六五〇〇万年前の地球でいちばん背のたかい恐竜、ブ
        ラキオサウルスの話をした。 葉っぱを切りとって巣にはこびキ
        ノコを育てるアリの農民、ハキリアリの話をした。銀河のまん
        なかで星を食べてだんだん大きくなる、ブラックホールの話を
        した。
        博物館を出ると、 世界は洗ったばかりのコップみたいに悲し
        くて, 明るかった。   

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「出入口」から [詩作品]

最近送られてきた「出入り口」NO1から,荒井隆明さんの詩を一つ書かせていただく。

                

               三輪車
            

             ゆっくり遊んで
             何が悪いのよ
             と
             口をとがらせて
             女の子は少しずつ向こうへ
             小さくなっていった
             小さくなって
             小さく
             なっ
             て
             ・
             になったところで
             やっと安心して
             もう
             戻らなくていいのだと
             また
             ゆっくりと
             小さくなって
             軋んだ音が少しはじけると
             葉と枝の間に
             消えてしまった
             風が吹き抜けて
             道は吹き飛ばされ
             もう
             何もかも
             なくなって
             何もかも
             忘れてしまって
             時々
             風に混じって
             軋む音が
             乾いた枝のように
             折れているだけだ



この、時間の形象化がおもしろく、読後に残される空間感覚にひかれた。この号にはほかにもおもしろい作品があった。

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